「げんしけん」は、過去投稿(2016年12月)でも取り上げていますが、改めてその意義深さを再認識したため、再び取り上げます。
大学のアニメ系サークル「現代視覚文化研究会」(モデルは原作者の出身である筑波大学の同名サークルで、略称「現視研」)に集う男女の、熱くもぬるい、ぬるくも熱い、青春群像劇です。原作漫画は、講談社「月刊アフタヌーン」で2002〜2006年に発表され、続編(2代目)も2010〜2016年に発表されました。最初の方と最後の方ではまるで雰囲気の違う内容になっていますが、「こういう(遅めだが)青春もあって良いのだ」と、大変共感できる内容でした。私個人も、大学でアニメ系サークルに2年間だけ入会しており、似たような雰囲気を実体験しています。なお、私自身はアニメから入りましたが、2004年と2007年に1クールずつ放送された後、2代目も2013年に放送されました。原作の全てがアニメ化されたわけではありませんが、原作に忠実でした。原作漫画の単行本も全巻所有しています。
2002年12月単行本化された第1巻に収録された、非アニメファン(非オタク。つまり「素人」)の女性である春日部咲がそのサークル室を初めて訪れた際、「アニメ」を素人らしく起伏発音で連発する場面があります。げんしけん会員は当然に全員平板発音です。そして、原作漫画には、春日部咲のセリフの中の「アニメ」に「※」がつけられ、欄外に「咲ちゃんは"ア"にアクセントを置いてます。」と注釈がつけられていました。つまり、玄人(濃いアニメファン)は平板発音が当たり前であり、だからこそ素人である春日部咲の発音の「異質さ」を強調しているわけです。これは、少なくともこの頃(2000年代)までは、まともなアニメファンが起伏発音することは想定されていなかったわけであり、平板発音こそがアニメファン(オタク)の証明だったことの、何よりの証拠なのです。原作者の実体験(皮膚感覚)が反映されているのは確かでしょうが、世のアニメファンたち(私も含みます)の正直な感覚だったと思われます。
ところが近年(2010年代以降)は、アニメファンを描くアニメが増加していながら、作品本編中でも大半が起伏発音になってしまっており、由々しき事態と危惧しています。現実(本物)のアニメファンたちに逆に悪影響を与えてしまっている面すらあります。何より、少なくとも平板発音が正統(昔からの伝統)であるという歴史的事実を知らない者が増えているのです。今改めて当作を取り上げるのは、前述のような原作漫画の記述(それを忠実に再現したアニメ)の意味を再確認し、現在の若い(若くない者も含めざるを得ないが)アニメファンたちに広く知ってほしいのです。当作のような良いお手本を広く知らしめる良い方法はないものでしょうかねえ。当作は、若い世代には決して知名度が高くないようなので、本当に忸怩たる思いです。
※原作漫画の該当頁コピーを含めた画像(音声のみ)
著作権者 原作漫画:木尾士目、講談社
アニメ1期:現視研研究会
アニメ2期:コミフェス準備会