2019年8月19日月曜日

アニメラマ&アニメンタリー

 「アニメ」という単語が世間一般に登場するのは、1977年の劇場版「宇宙戦艦ヤマト」公開に端を発するアニメブームの時期です。それまでは、「まんが映画」「テレビまんが」が一般的で、せいぜい「アニメーション」が知られている程度でした。しかし、造語という形で「アニメラマ」「アニメンタリー」という表現が公式に使用されていたこともあります。

 「アニメラマ」は、虫プロが制作し日本ヘラルド映画(現在は角川映画に吸収)が配給した3作品に対してつけられた、映画宣伝用の造語です。
 「アニメーション+ドラマ」の略で、女性のヌードシーンもある大人向けの前衛的な作品でした。1969年公開の「千夜一夜物語」、1970年公開の「クレオパトラ」、1973年公開の「哀しみのベラドンナ」です。(「哀しみのベラドンナ」は正確には「アニメロマネスク」として宣伝されましたが。) 
 興行的には、「千夜一夜物語」は成功でしたが、「哀しみのベラドンナ」は失敗に終わり虫プロ倒産の引き金になりました。ただし、コミカルなシーンもある前2作と違い、シリアスで哀しみに満ちた作品で演出・作画も凝っており、作品の評価は決して低くありません。

 「アニメンタリー」は、戦記物作家の児島襄が監修でタツノコプロが制作したほぼオリジナルのテレビアニメ「アニメンタリー決断」で正式タイトルに入りました。
 「アニメーション+ドキュメンタリー」の略で、基本的には史実に忠実で、「軍人」たちの決断を描いています。主題歌は現在でも右翼が街宣車で流しています。

 いずれにせよ、まだまだ「まんが」と呼ばれていた中で、少し格調高くして差別化を図ろうとしただけの造語だろうと考えています。


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